以前に書いたことがあるが「こだわる」という言葉が好きではない
使い方が気に入らないのである、あたかも立派な美意識のように使う言葉ではない
「こだわる」漢字で書けば「拘る」だ
拘留、拘束など、いい言葉では使われないものである
醜い執着、それが「こだわり」だ
だが、こないだTVでやっていた
確かに「こだわる」は以前は悪い意味で使われていた言葉である・・・
が、その「こだわる」をいい意味で使い始めたのは
なんと、昭和40年代とか・・・
あの頃の日本人はそれまでと違った価値観を求め
それまで悪い意味で使っていた言葉をいい意味で使いより一層言葉を強調したとかいう
たとえば「鳥肌がたつ」
寒い時やおぞましさのあまり「鳥肌が立つ」と言うのが普通の使い方ではあるが、あまりの感動に「鳥肌が立つ」・・・と言いまわしてより一層感動を強調したと言う
昭和40年代っていうと私はまだ幼児ではないか
なぜその時代に生れた人間がこの言葉をいやな意味にとらえているのであろうか?
「こだわりの逸品」とか
いい意味に解釈していてもおかしくない歳であるハズだ
むう・・・なんてこと
そういえば、最近買った録画機能付きのTVであるが・・・
早くもクラシック音楽と古典落語が結構な量で録画されている
クラシック
言わずと知れた「古典的な」っつー意味だ
古典音楽に古典落語?
もしかして相当古典的な人間なのであろうか?
考えてみればどーゆー趣味だろう
学生の頃から歳相応に見られなかったのは、別に外見だけの問題ではなかったのかも知れないな~と今になって考えてみたり・・・
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