・・・である日の夕飯
これは実家から貰った「漬物の煮たが」とヨメが出してきた
余談だが、富山では助詞の「の」を「が」と鼻濁音で発音する
「煮たが」というのは「煮たの」と云う意味である
漬物と言ってもこれはタクアン、まあ「漬物の煮たが」とはほとんどコレなのであるが・・・
私はそこまで好きじゃない 食べるけど
だが、漬物なんてあの歯ごたえが良いと思っている
けど、年寄りにしたらいい食べ物かもしれない
タクアンを柔らかくして食べられれば歳を取ってからも漬物を食べるいい方法である
・・・が、怪訝そうに食べてたヨメ 一言言う
「これってやっぱり漬物?」と・・・
お前、今「漬物の煮たが」つって出したろーがと少々大きめの声で言ってしまったが
話しているうちに解った
ヨメは look like 漬物
要するに「漬物に似ている物」と解釈していたらしい
漬物を煮て食べるなどという文化が無かったようである
そういえば、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」
その3巻で、京都の茶屋で龍馬が「そこのタクアンの煮あげたやつをくれ」と言っているシーンがある
別に気にならない筈のシーンと思うが、司馬遼太郎がわざわざ注釈を入れていた
原文のまま書くと
妙な食いものだ。
土佐、薩摩というところは素朴な動物性の食いものを好む土地だが、京はさすが千年の王城だけに、こみ入った奇妙な食いものを作る
これなどその尤なるものだ。よくつけたタクアンをもう一度水でもどし、そいつを干雑魚をだしにし、赤唐辛子を加えて煮あげたものである。
ということだった
読んだ当初は何が妙なのか解らなかったが、一般的に食べないモノらしい
同じ富山県内で、しかも隣の市出身のヨメが知らないのである
興味がわいたので、従業員に聞く 高岡の娘、氷見の娘は知らなかった模様
だが、この近所に住んでる・・・要するに農村の娘だけは知っていた
そもそも、漬物というのはいい保存食である
野菜というものは、採れる時期が決まっていて一度に大量に作る
食べられない分は、漬物にして保存する
というのが農村ではごく一般的なものだ
多くあるので自然、調理法も増えるのだろう
ちなみにウィキペディアでは 京都、滋賀、北陸で食べられるとあった
京都で昔からある調理法なんだからお前の方が田舎もんじゃ
と、竜馬がゆくを付きつけてヨメに対して勝ち誇る私が居たとか・・・
そんなはなし