なんか昨日からアクセスが少ない、
うわーねぇちゃん どないなっとるんや~ってくらい・・・
たぶんエリのこと書いてないからだろうが。
しかし、今回は音楽の話・・・・
全日本医科学生オーケストラ・北日本医科学生オーケストラ
この2つは以前から何度も話題にしている。分からない人はカテゴリー音楽を見れば判る。
実は、私は上記のオケではファゴットは副楽器であり 主楽器はコントラファゴットであった。
ファゴットよりも1オクターブ低い音の出る楽器・・・木管楽器の最低音を受け持つ。
なぜそんな楽器を担当していたか?
これには諸説ある。
1・その楽器の数少ない理解者足りえる人間性であったこと。
2・陰で人を支える事を特技としていた人物であった奥ゆかしさゆえ・・・
3・以前(中学生時代)チューバをやっていたので低音に対する理解が深かったこと・・・
4・Fg(ファゴット)の腕前が他大学の人達に比較して著しく使い物にならなかったこと・・・
などである。
答えは当事者のみが知っていればイイですよね?井之口さんとか赤松君
私にその楽器を任命したのは、このブログにコメントはまだないが・・・何度か登場している井之口さんである。
そう、彼が居なければ私とコントラファゴットの出会いは無かったのだ。
私の医科オケ(全日本医科学生オーケストラ)出場の前に、彼から電話が掛かってきた。
彼は思慮深い方である、私に特殊楽器を任命するにあたり その説得の仕方は後世に精神科医足るに、とても相応しいものであったと記憶するところである。
私は井之口さんの説得?をさえぎる形で彼に告げた。
自分は以前、低音楽器の専門だったのでとても興味のある楽器である。
しかしながら、手元にその楽器が無いので練習できないことに不安がある・・・と。
井之口さんは私にコントラファゴットを任命し、楽器が無いならではの練習法を教えてくれた。
当時、スランプ気味だった私はFg以外の刺激も受けてみたかったのか、それとも私とその楽器の運命だったのか?
インドのことわざに
「必要な段階に至ったとき 師は目の前に現れる」
と言うのがある、そして私はその考え方が好きだ。
人の出会いには、確かにその後の人生に影響する切り離せない出会いがある。
コントラファゴットとの出会いは、確かに私に新しい居場所と人生ををあたえてくれたのだから。
その年の曲は「ドンファン」コントラファゴットが目立たないが活躍する曲である。
合宿中、初めての楽器に戸惑いながらも練習に打ち込んだ。
ある日、少しだけ楽器と私の歯車が噛み合ってきたことを実感する。少し気分良く部屋に帰った。
井之口さんは私を任命した責任と奏者として育てようと一生懸命なのだろう
帰ってきた私に声をかける・・
「コントラ上手くなったじゃん」
嬉しかった、ようやく噛み合った実感があった直後だ・・・思わず言ってしまった
「そうでしょう」
あまりの遠慮の無さに部屋中が大爆笑だったのが忘れられない。
その年の木管楽器のトレーナーはFgの福井先生・・・普段アマチュアには教えないような先生だ。そーゆー先生と、その時に出会ったことも天命だったと思っている。
付け加えるならば、何年か後に知り合い仲良くなった仙台フィルハーモニーの海野先生 コントラFgがダイスキだと言っておられる先生である。
人の出会いには引力がある 天命に導かれるのだろう。
福井先生はとても毒舌な先生であった。
しかし、演奏後にその先生に言われた
「良かったよ、コントラは」
嬉しくて涙がでそうだった。
コントラは・・・の部分の声が一際でかかったのは忘れよう・・・・
私はかくしてコントラファゴットと出会い、医科オケでコントラ吹きとして一時代を活躍したのであった。
様々な運命の出会いと共に。
各演奏会の思い出は、機会があれば書くことにします。
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