悲愴と言えばチャイコフスキーの交響曲第6番である
あの漫画の神様 手塚治虫も好きだったという
そういえば、昔やっていたドラマ「漫画道」のなかで、手塚治虫が編集の人だかに
「君、悲愴をかけてくれ」と言うシーンがある
手塚治虫のクラシック好きは有名だが、特に悲愴はお気に入りだったようだ
こないだTVでやっていたが、富山出身の漫画家 藤子不二雄Aさんが一人で手塚治虫のアシスタントをしたときの話だった
ジャングル大帝の最後のシーンを描きながら手塚治虫が「悲愴」を流していたという
藤子不二雄Aさんは原稿を描きながら涙があとから流れて止まらなかったようなことを言っていた
あの壮大なスケールの漫画の裏には音楽があったらしい
その時かかっていたのは4楽章の情熱的な部分だとか・・・
悲愴といえば、1楽章の最初のFgとか4楽章の最初や最後などくら~いイメージが拭いきれないが、それ以外の部分の凄いことも忘れてはいけない
チャイコフスキー自身が「最高の出来」と言っているのもよくわかる
4楽章の最初の6音などは1stと2ndのバイオリンが交互に音を出しているという特殊なもの
当時は舞台の向かって左に1stバイオリン 右に2ndバイオリンがいた形が普通だったために、チャイコフスキーが、主旋律が左右からステレオ的に聞こえるように工夫したと言われる、それだけでも趣向に凝っていることが見て取れる
だが、あの悲愴という交響曲には困った事がある
普通、コンサートなどでメインの曲が終わった瞬間、「ブラボー!」
という歓声とともに大きな拍手がまき起こるものだ
しかし、悲愴は終わり方が普通の交響曲とは違う
静か~に音が消えていくのだ
いつ拍手をして「ブラボー!」と言えばいいか判らない
しかし、あの曲が終わった後に残る心地よさは格別な物があるのも確かである
さながら桂文枝の「たちぎれ線香」を聞いた後のような、なんというか・・・
「若旦那、小糸はもう三味線弾かれしまへん
なんでだんねん
ちょうど線香が・・・たちきれました」
と終わられた時の余韻と似ている
ちなみにドイツの精神科医が患者に対して各種の音楽を聞かせたという研究した結果によると
悲愴を聞かせたあとは内因性のうつ病患者の症状が悪化したとかいうことだ
チャイコフスキーもうつ病で苦しめられたからだろうか・・・
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