8月12日、母校岩手医科大学の管弦楽団 その定期演奏会があったので岩手に行ってきた。
8月の盆近く、ラッシュのために電車はきつい。
普段なら寝台車を使い、前日のうちに日本海側を北上するのだが 中越沖地震の影響で寝台が使えない。キャンセル待ちをしていたのだが、越中大門駅の無能どもは連絡1つよこさないので不通になってるの知らなかった、もうあの駅で切符買うのはやめよう。
やむなく高岡→越後湯沢→大宮→盛岡を自由席で行くことになる。
大宮まではいいのだが、そこから盛岡までの2時間は立っていく、学生の頃を思い出した。
さて、盛岡について待ち合わせた先輩に電話をかけるとハナシが食い違う・・・・
始まる時間が聞いているより1時間早い?
盛岡に着いたら先ずじゃじゃ麺食べようと思ったのに、確認の為にホールに向かう。すると、事前にあった連絡は間違いだとわかった。なんだかもう さんざんだ、
しかし、それでも私は今回の演奏会だけは絶対に聞きに行きたかったのだ。
最近、クラブの存続自体が危ぶまれている。
少し前からそんなウワサを耳にするようになっていた。
無責任に辞めていく部員が後を絶たないらしい、
そういえば巷でも「自己責任」などという言葉がはやった。
その言葉を聞いて正直呆れたものだ、
「自己責任」自分の事は自分でやりなさいという、幼稚園児に言い聞かせる様なことではないか?
私は「責任」という言葉は、他人の行動を自分の管理の下で行う場合に使う事が多かった。
自分のことが自分で出来ない人間が多くなってきている風潮であろうか「自己責任」など、責任の意味を極限まで軽くした言葉であろう。
他人の命に対して責任を持つドクターに、これからなろうとしているなら、責任ある行動をとってもらいたいものだ。
まあ、そのようなこともあり心配していたのだ
だが、今回のプログラムを聞いて驚いた。 曲は3曲あるのだが、
メイン曲が 新世界 とてもなつかしい、私が5年生のときにやって以来だ。その頃の私は指揮も随分実力がつき(以前に比べれば)結構楽しくオーケストラを動かせるようになっていた。
知り合いのプロの指揮者と話をしていてこう聞いたことがある。
「僕、あの曲が止まっちゃったのみたことあるよ」と、
新世界はそういう曲だ、聞き栄えするが、かなり難しい。 しかし、私が現役の時は本番の指揮者が振り間違えたにもかかわらず、うまくいったものだった。
しかし、今の楽団で大丈夫か?
そして、サブメインがコンチェルト ブルッフのヴァイオリンコンチェルトだ
これにも思うところがある、あの楽団が最期にコンチェルトをやったのは、私の執行部だったのだ、それ以来、定期的にやっていたコンチェルトが、15年?程演奏されていなかった。
人を呼ぶのが難しかったり、練習の組み立てが難しかったりするが・・・
あの時で懲りた?とか思ってしまうではないか。決してそうではないとわかってても。
そして、序曲がフィンランディア しかも指揮は学生
これが大切だった、なんと学生指揮も私以来12年ぶりである。
ようするにあの楽団の最期の学指揮という不名誉な、まさに汚名を着ていた。
下が育っていない・・・ことになるではないか。色々あったとはいえ
しかし、その汚名が返上できる・・・遂に新しい学指揮が誕生するのだ
曲は私が振った曲でもある。
そして、コンサートが始まる・・・・
いい、やはりこーゆーものは技量にかかわらずいい・・・それまでの涙と汗を物語るのが、この定期演奏会なのだ。
特に嬉しかったのは、学生指揮の鈴木マックと、新世界でオーボエとコールアングレの持ち替えをやった安達君だ、この2人の6年生とは多少の縁がある。
ほたる野歯科医院の開業をひかえ、秋に仕事を辞めて休みを取った私は、定期演奏会にトラ(エキストラのこと)として出演させてもらいに盛岡に行った。
とはいえ楽器を本格的に吹くのは5年ぶりだ、カンを取り戻すために1週間 盛岡に泊り込んで、練習した。その時に同じ木管楽器の、当時3年生だった彼らと仲良くなったのだ。
いきなり来た、この顔も知らぬOBに彼らはとても良くしてくれたのだ。
マック君のフィンランディア・・・緊張しているのがわかる。しかし始まってみると・・・・ああ、私もこれくらい重たいフィンランディアにしたかった。
いいではないか。若い木管楽器の面子も頑張っている。まだまだ将来がある、そんな感じにとても安心した。
そして、安達くんのアングレ・・・2楽章の家路のソロ 有名なフレーズだけにヘタは許されない。前回はアングレは専属で持ち替えはなかったが、彼は持ち替えだ。
だが、うまく吹いている・・・こうでなくてはな・・・
だが前半のフレーズを吹き終わったところで彼の異変に気付く、マッチョな彼の体が、横の2人の女の子よりも小さくなっている。
なんだ?
思い出した、彼は涙もろいのだ 感極まって涙が止まらないらしい。
いかん!ソロは後半もあるのだ。吹ききってこそのソロではないか、
演奏会をするなら自己満足で終わらせるな、このまま吹けなかったら後でいぢめてやる(彼は空手が強いので口で)
そう決意してドキドキしながら次のソロ・・・だが、彼は吹ききった。泣いているとは思わせもしない吹きっぷりで、見事にやり遂げたのだ。
よくやった!後は泣け、己のソロで己が泣いた 涙はスワブで拭いとけ・・・3楽章はじまるまでに。
ああ、あの時の3年生が立派になっていたものだ・・・・
私がこの時に持った後輩たちへの思いは彼らにもあるだろう、そしてそれは受け継がれていくことを確信した。
そして、危ぶまれてウワサされる部の存続も大丈夫だ。
そんな演奏会を、後輩たちが見事にやってくれた。
1つ、残念なのは自分が舞台の向こう側にいないことである。
富山に住むヤツにはどうしようもないことだが、私もまた楽器を持って活動したいと思う。
そして、打ち上げが始まった。
これの為に演奏会をやるのだ、そのために苦しい練習を乗り越えるのだ。
打ち上げが禁止されたら間違いなく その日にクラブなどブッ潰れることは疑いない。
段々酒が入ってきて、堅苦しいハナシがなくなってきてからが本番である。
演奏会や打ち上げにはトラで出演しているOB達も多い。中には私が入学した時には既にOBだった人や大先輩だった人達も居る、私だって卒業して10年以上経ってるのだが・・・・だが、こんな人達が居ないと、今回のような事態は乗り切れなかったことだろう。
今回、この人達は歳も省みずに真夏のクーラーのない練習をやったのだ、
そんなこともあってだろうか、例年になくOB達は楽しそうだった。感極まって泣いているOBも1人ではなかった。
しかも3次会、4次会 5次会まで、若い学生らに付き合ってるといつまでもこんなことが出来そうだ。
しかし、次の日仕事なのは大丈夫だったのだろうか・・・モロハラさんとか。
結局、ホテルに帰ったのは朝の5時半。
帰りの電車は辛かったが、満足して帰った。
また、感動のある演奏会を期待して・・・出来れば来年も行きたい。
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