演奏会当日の午前中 ゲネラルプローベがあるので続々と人が集まる
トロンボーンの先輩がやってきた、個人的にもかなり親交のある人だ
この先輩、最近子供が生まれたのと仕事が忙しいのであまり練習ができなかったとか、ゲネ本で出場することになりそうで後ろめたいと以前に電話で聞いていた
私はゲネ本OBを排除したいと考えているのだが、こーゆー親しい人にそれをやられるとちょっと痛い
が、この先輩の事もよく知っている
今回の曲 チャイコフスキーの交響曲第5番はこの先輩にとって特別な曲であり、その後のオーケストラとの付き合い方、考え方に多大な影響を与えた曲である
が、この先輩 ついて話した最初の一言が
「今回は出ないことにする」
楽器は持ってきていて礼服も車の中に用意してある
だが迷いに迷って、ドタキャンすることを決意したらしい
新入部員の1年生が吹けない子ならこの決断はなかった筈であるし、本人もドタキャンも失礼だと迷いに迷ったらしいが
だが、練習をせずにゲネラルプローベと本番のみで出場する
これは現役部員に対しての愚弄と侮辱にすぎないと私は考える
現役部員は定期演奏会のために多くの練習時間を使う
プロのように数回の合奏では出来るはずがないのだ
そのなかで、あーでもないこーでもないと自分たちの演奏を作りだしていく
そして、その時代、面子にふさわしい「風格」も存在する
以前やった同じ曲を演奏しても違った演奏になるのがごく当たり前である
が、ゲネ本OBは以前のやり方を平気で持ち込んでしまう
いや、下手すりゃ楽譜まで前回使った書き込みがそのまま残っている そんなOBは死んでしまえ
学生時代から気になっていたのだが、OBになり観客になった今
更に気になっている
ゲネ本OB邪魔 恥を知れ
日頃から思っている
定期演奏会は言うまでもなく現役生の演奏会である
その人数的に足りない部分をOBやエキストラの力で補う
そして、誰が出場するか決めるのもまた現役生が決めることである
私は
OBは呼ばれるまで練習場に行くべきではない
とすら考えている
誰が出るかは現役が決めればいい
頻繁に練習場に行けば本番に呼ばざるを得ない
いわば押しつけがましいのである このことに関しては師匠の先輩ともモメたこともあり、呼ばれたいなら行くべきだと言う人も居られるだろう
だが、近年の有名な裁判で
言ったのではなく言わせた
これが最高に卑怯な行為であると判決が出ているではないか
法律は道徳の下に位置し、道徳は時代の常識の下に位置する
この裁判で私の考え方は正しいと証明されたと思うのだが如何だろう・・・
PR