伝説の人
今、とやかく言われている相撲会・・・
しかし過去も、各藩の面子の為に色々あったのではないか?
もう面倒なことはいいから強い力士出せ・・・というのが私の本心であるが。
昔のすごい力士の話を聞いたことがある。
雷電爲右エ門という力士が居た。
先ず間違いなく名前くらいはご存知であろう、
富岡八幡宮の横綱力士牌に横綱にならなかったのにその名が刻まれている。
江戸時代の人ながら身長197センチ 体重172キロの巨漢だったと言われる。
これは今の把瑠都と同じだそうだ、現在の力士にしてもでかい。
江戸時代の他の力士の体格がどんなものかは知らないが・・・
しかしながら、それ以前の戦国大名 斉藤義龍も六尺五寸様などと呼ばれていたという。六尺五寸といえば、197センチ・・・雷電と同じだ
なので、昔から相撲取りはでかかったのではないか?
色々な逸話が伝えられているが、感心するのは先ず優勝回数だ
まあ、その時代には優勝はなかったらしいから優勝に相当する成績ということになるが・・・27回だ。
これには驚く、千代の富士が31回で大鵬が32回である。しかも現代は年6場所で、雷電のころは年2場所しかなかったのだから驚く。
歴史に「たら」「れば」はないが、6場所だったら3倍の優勝回数だったかも・・・
1場所で2敗することはついになかったとか・・・
この時代、他にも10人ほどの力士の名前が簡単に判ったりする。
その10人とは雷電に勝ったことのある力士達だ
雷電に勝つ・・・それだけで歴史に名が残るのだから凄い。
市野上浅右エ門という人は雷電に2度勝ったことのある唯一の力士だ。
しかしさらに凄いのは、雷電のみ禁じ手・・・というのがあったらしい。
ツッパリ・・張り手・・閂・・鯖折だ。
先に書いた10人の力士はその上で勝ったというだけなのか・・・
大体そんなに禁じ手があってどんな相撲をとってたのだろうか。
で、この雷電という人が なぜ横綱をとらなかったのか?
これは相撲史上最大のミステリーであるらしい・・・
伝説の力士にミステリー
この雷電爲右エ門という力士の大きな魅力の一つとなっているのが面白いではないか・・・・
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