合宿の時に兄弟子がおっしゃった・・・
「太極拳をやるような人って色んな意味で変わり者だよね」
実は私もそう思っていた。
強くなりたいのなら空手とかボクシングとかやったほうが手っ取り早い。
健康になりたいのならエアロビクスなり水泳なり、ジョギングなりウォーキングなりという方法がある。
なのにあえて「太極拳」をやってるのはなんだろうか?
太極拳は優れた武術である・・・
だが、武術として使えるようになるまでには何年もの時間が必要だ。
比較すれば空手は強くなるのが早い、太極拳とは対照的である。
思うに空手は先ず、表面的な強さを得て、その後に内にしっかりしたものを作っていく武術なのではないだろうか?
太極拳は逆である、先ず内勁(説明が難しい、体の中を通る力とでも言うのか)を作り上げそれを太く、強くしていく。
実践的になるには3段階目くらいの強さが必要である。(太極拳の強さは5段階あると言われる)
しかし、なぜ太極拳ってそんな迂遠な鍛錬法を採用したのだろうか?
武術というのは出来るべくして出来るものである。
戦う必要性があったから出来たのであろう。
ここで考えるのは、太極拳の里 河南省は温県陳家溝というところだ。
ここの人達は老人から子供まで、ほとんどが太極拳をやる。
太極拳は陳一族に受け継がれてきた武術なのだ。
TV番組で村の人にインタビューしていた
「例えば、少林拳などと戦えばどちらが強いですか?」
村のオッサンが誇らしげに言う。
「この地に色々な者が戦いを挑みに来たが、勝った者は誰もいない」
考えてみればそりゃそうだろう、喧嘩しに来て、もし誰かに勝ったとしたら、鍬やら鋤やらで村人全員にフクロ叩きにあうことだろう・・・武術の世界ってきれい事じゃないしな。
なるほど、村のほぼ全員が太極拳をやっているような土地
名人、達人はごろごろ居るのだろう。
そんな土地なので、手っ取り早く強くならなくても
時間をかけて本当の強さを身につける・・・短期間で強くなる必要性がなかったわけだ。
で、そんな鍛錬方法を採用する事ができたのだろう。
要するに、戦いは大人に任せて子供は守られながら確実に強くなっていく。
血と地に守られた伝統武術。
太極拳の魅力の一つって気がする。
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