コレが何か、という論争は昔から後を絶たないと思われるが・・・
ハッキリ言ってこの論争は好きじゃない。
最強の格闘技は・・・
土俵の上なら相撲であろうし、ボクシングのリングの上ならボクシングだろう。
K-1のリングの上ならK-1だろうし、柔道場なら柔道だ。
要するに、そのルールの設定によって「最強の格闘技」等というものは変わってくるものだと思うのだ。
では、それら規制のルールではなく全く新しいルールを作って戦うとしたら?
それはルールによるだろう。
大抵の格闘技で禁止になっている、目潰し、金的攻撃、噛みつき・・・
これらが入ると既成の格闘技など意味を無くすのではないか?
格闘技はスポーツである。
スポーツは「ルール」があるから、このようなことになるわけである。
ではルールのない世界
「武術」ではどうだろうか?
最強の武術は何か?
この論争もいかがなものか・・・私のような未熟者には解らないことが多すぎるのだが、私が以前より抱いている意見は。
「最強の武術家」はいるが
「最強の武術」は無いのではないかと思う。
当時、誰にも負けなかったものが「最強」と呼ばれ、
その人のやっていた武術が「最強の武術」・・・と言われる
それを誰も止められなかっただけの話だろう。
例えば、「半歩崩拳あまねく天下を打つ」と言われた郭雲深は形意拳の人だし
「二の打ちいらず一打打てば事足りる」と言われた李書文は八極拳の人だ。
大東流の佐川さんも強かったし、今武蔵と言われた國井善弥は鹿島神流
(しかし、この二つの武術は福島出身って共通点がある)
空手が最強と謳った大山倍達は中国拳法に敗れている(漫画で)
このように、最強と呼ばれた人達は皆違う武術をやっているのが現実である。
もしも「最強の武術」なんてものが存在するのなら、みな同じ武術をやっていなくてはおかしい話だ。
ここで、師匠の及川重道先生の言葉を思い出す
「2人の先生についたら2倍、3人の先生についたら3倍遠回りすることになるね」
同じ武術でさえ師匠が違えば、そうなるのである。
山の頂上を目指すルートは人によって違うのだ。
要するにどんなルートを通っていようが当時、より高みにいた人が「最強の武術家」と呼ばれ、
その人がやっていた武術を・・・「最強」と勘違いする故にこの様な論議はあとをたたないのではないか?
・・・等と思ったりするのだが。
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