韓国のバイオ関連企業がアメリカの身障者の依頼を受けて1600万円で飼い犬(盲導犬?)のクローンをつくるとか・・・何日か前のニュースだが。
まあ、クローン技術なんて私が中学生の時には既に可能だったと聞くし・・・
こんな話はあっても不思議ではない。
いや、軍事産業などで既にどこかで利用されてそうだな~
くらいに思っていたものだ。
人が神の領域に・・・などと言うつもり等ない。
まあ、この点に関しては色々とあると思うが私個人の意見だ。
作るのはイヌだし、人は今までにも美食や愛玩の為に品種まで変えて動物を増やしているではないか。
やり方が一寸だけ科学的になったって程度であろう。
クローンが神への冒涜だ・・・という人が品種改良について何も言わないことは理解できない。
ともかくも心配なのは作ってもらう、そのアメリカ人だ。
飼い犬を失った経験があれば、その気持ちも痛いほどわかるだろう・・・
しかし、何を期待してクローンを作ってもらうか。
この場合の最大の問題はコレではないだろうか?
いくら複製したところで、記憶までは複製できないのだ。
人格(この場合犬格?)を形成するにはそれまでの経験が元になる。
同じイヌでもヒドイ仕打ちをするとヤサグレた犬になることだろう。
だから、飼ってた犬のクローン犬が欲しい・・・といっても
その犬に、この上なくよく似た子犬 その犬の一卵性の双子の犬・・・
その折衷案・・・くらいの考え方じゃないと失望するだけだ。
前の犬と違う・・・ってダダをこねるのが最悪だろう。
だったらどうする?まさか殺すわけにはいかない。
そのように考え方を進めると、命にはやり直しがきく・・・という
この上ない最悪な結末が待っている。
まあ、そのような理由で(他にもあるが)人のクローンを造るのには反対である。
育て方を誤った・・・てリセットしてやり直す・・・
怖い考え方になりかねない、
命にはやり直しがきかないのだから。
この人とクローン犬に幸せな未来があることを祈るばかりである。
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