音楽に国境はないと言われるが本当だろうか?
小澤征爾はほとんど外国で過ごしているし、やはりヨーロッパ等のオケを聞くのは嬉しいものだ。
CDを買うときも、日本のオケを選んで買うことは少ない。
しかし、日本人も音楽は好きである。
あの長島さん(ミスター)もベートーベンが好きらしい。
この国では決まって年末に第九が演奏される。
ベルリンの壁が壊された時、第九の歓喜の歌が涙ながらに歌われた
などと言う話が感動と共に伝わっている。
西と東の人々の心が音楽と共に一つになった まさに国境を越えた瞬間だったのだろう。
その第九がこの国で初めて演奏されたのは第一次世界大戦期
映画「バルトの楽園」でそのエピソードがみられる。
久々に泣ける映画だった、クラシックが好きじゃなくても一見の価値があろう。
映画では俘虜がドイツに帰ることになり、別れに際して収容所や近隣の住人の為に苦労して第九を演奏するような描かれ方であったが・・・
ちなみにその映画で忘れられないセリフ
「手に入らない楽器もある。ファゴットやオーボエはどうするんだ。」
「ファゴットか・・・・・」
とかいうのがあった、当時から日本ではマイナーな楽器だ。
未だに説明に苦労するわ
それはともかく
映画上演当時、「奇跡の村の奇跡の響き」と言う本で真相を読んだ。
当時、その収容所に俘虜の高官が来ることになったのだったか?
そうとううろ覚えであるが・・・・
その時に俘虜たちが、交響曲第九で出迎えたらしい。
坂東の住民たちは、そのことを聞きつけたが一般人は立ち入れない所での演奏
みな藪の中だったか山の中を裏手に回ってこっそり聞いていた。
3楽章までは少々眠くなる感じであったらしいが、
いざ歓喜の歌の部分になって皆驚いたらしい。
あふれる涙を抑え切れなかったということだ、
現代のプロの指揮者にもいるらしい。
その人は演奏中に指揮棒置いて、ハンカチ取り出して涙を拭き始めたとか・・・
指揮しろよ。
当時の日本人である
ドイツ語の知識はほとんど無い筈である、(俘虜と交流はあったらしいので今の我々よりはあるかも)
第九の知識なんかもタカが知れてるだろう、ベートーベンや運命なども良く知らないひとたちが・・・・
歓喜の歌に魂を揺さぶられたのだ。
演奏が終わると皆立ち上がって拍手喝采したらしい、その時こんなに大勢が隠れて聞いていたのか・・・・と言う数だったとか。
音楽に国境はない、それを感じされるエピソードだ
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