犬を飼うものには必ず訪れる、愛犬との別れの時。
そしてそれはほぼ、人が犬を送る・・・
犬を迎えたその日から、人はその恐怖と向き合いながら日々を過ごすものだ。
私も3度、それを経験している。
初代の愛犬 柴犬のユリ
私より1年早く我が家にいた犬。生まれた私が少々疎ましかったかもしれない。
私は生まれたときからユリがいた、大きな犬だった記憶がある。
転んで怪我をしたときは、傷をペロペロ舐めてくれたやさしい犬だった。
当時は1980年前後・・・犬はまだ屋外で飼うのが一般的だった。
外が嵐の時は家に入れてやる、とても嬉しそうだった記憶がある。
ある日から、ユリが病院に通うようになる。
しばらく入院して帰ってくるユリの体臭が変わっていたのを記憶している。
今、思い返してみると、あれは抗生物質の臭いだったのだろう。
フィラリアだった。
その日は憶えている・・・・
友達の家で遊んで帰ってきた私に向かって家族がユリの死を告げた。
父が庭の柿の木の下に大きな穴を掘っていた。
ユリの顔には白いハンカチが被せられていた。
翌年からその柿の木に実が付き始めたのを憶えている。
その家はもうなくなってしまったが、今でもその場所は私にとっては神聖な場所である。
2代目の犬レオ
彼の死はもっと唐突だった。
前の夜、レオが寝ていた部屋に誰もいなくなったのか・・・
レオは私のいた棟に走ってきた・・・丁度、階段から降りてきた私を見つけて喜ぶ
抱き上げてあやしたのが最後の別れ
次の日、車にはねられたレオ・・・傷ひとつ無い綺麗な顔だった。
父が注射をしたレオを私が人工呼吸したが、既に生気は無かった。
3代目のヒメは天寿を全うしたと言っていいだろう。
大学を卒業し、地元に就職。
歯の無くなったヒメに私が噛み砕いたゴハンを与える。
休みの日は晴れていれば必ずサンポに連れて行き・・・みるみる元気になっていったが、
既に12歳をまわっていた。
2年後の5月、まだ寒い日だった。
ある日から咳き込むようになる、気管支炎だろう。
病院を予約した日の夜、私が仕事から帰ると喜ぶはずのヒメは調子が悪くて寝ているという。
みると、コタツの中で息が荒く熱い。そして失禁している、粗相をする犬ではない。
ヤバイと思った私は、スグにヒメを冷やした。
すると意識を取り戻し、楽になった顔を私に見せてくれた。
ヒメの顔を見た・・・それが最後だった。
その場を離れたことは未だに後悔しているが、最後は妹に抱かれながらその腕の中で息を引き取った。
どの犬も、最期まで死ぬとは思っていない時にその別れの時が訪れている。
今日、楽しく過ごした愛犬との日が 明日には思い出に変わってしまうのが殆どである。
後悔の無いことはありえないだろう、いつだって反省しながら犬とでも人とでも暮らしていくものだ。
振り返ってみて、愛犬の楽しそうな顔や声をたくさん思い出すことが出来る。
甘やかせというのではなく、そんな日々をおくったことが大切だと思う。
ヒメが亡くなる少し前・・・ゲームをやっていた。
そのエンディングの歌詞が、その後心に響いた。
「ああ 初めて出会いし あの日を想う
いま わが胸に 咲き誇る 君よ花よ
涙の数だけ 喜びがある あなたはそれを教えてくれた
命の尊さ 命の素晴らしさ この想いを永久に咲かせよ
う」
無題
Re:無題
この記事にトラックバックする