思わず引き込まれる・・・そんな経験は無いだろうか?
例えば、ポメラニアンの子供などに釘付けになってしまう・・・
それとは別の感覚である。
何気にテレビのチャンネルをいじっていて偶然演っていた演奏。
「展覧会の絵」だ、よく聞く音楽だし今は私の医院でも流している。
編曲者がラヴェルのやつだが、これがオーソドックスだろう。(元はピアノ曲、実は他にもオケの編曲があるがこれと比べるとどうしても劣って聞こえる)
聞き覚えのありすぎる曲なのに釘付けになってしまう。チャンネルのリモコンはもう廻せない。
ほんの2,3小節聞いただけなのに・・・釘付けになっている自分がいる。
ほどなくして指揮者が映される、目を開けて棒を振っているこの方は・・・
カラヤンだ、ヘルベルト・フォン・カラヤン・・・若い頃の指揮だ。
流石である、こんな演奏があるんだな、と・・・
音楽に関しては、自分も少々やっているせいか、こんなことはけっこうあるのだが・・・実は音楽以外でもこんなことはあるのだ。
他に、忘れられないのは鏑木清方の絵を見たときだ。
「朝涼」だったかな?うろ覚えだが・・・
アレを見たときも釘付けになった。
絵画などはほとんど関心のない私。そこんとこの芸術的感受性は無縁だと思っていたのだが、アレを見たときの衝撃は忘れられない。
優れた芸術というものには、このような力があるのだと思う。
例えば、ルーブル美術館の平均入場者数は1日4万人だそうだ。
マイケル・ジャクソンなどのライブも多くの人が入るがそれは毎日ではない。
だが、ルーブル美術館の「ミロのヴィーナス」や、「モナリザ」などを観に来る人は、何十年にもわたって毎日4万人訪れているのだ。
私が17歳の頃・・・釘付けになったものがあった。
NHKでやっていた、それまでそんなものには殆ど興味はなかったのだが。
やっていたものを何気に観ていて釘付けになったのだ。
「陳小旺」老師の「陳式太極拳」だった。
私のつたない言葉ではとても表現しきれない、上記のものをはじめてみたときの衝撃と興奮だ。その体勢、動き、滑らかさ、爆発力。
その後、入門したのは偶然にもその方の弟子である及川重道先生の教室。
今をもって細々と続けているが、原点は20年近く前に視た、あの番組でやっていたあの小旺先生の映像である。
達人の技は一流の芸術に等しいものがあるのではないだろうか?
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