チラッと見たオリンピックの開会式で太極拳をやっていた。
2人でやってたのは流石に綺麗な動きだったが、アレはバレエとか体操やってる人かもしれないな。
綺麗に見せるだけなら、そっちのほうがよほど良いのである。
しかしながら、岩手に居た頃に一度だけ参加したことのある太極拳の表演大会
いかに綺麗に見せるか、って事ばかりを追求していて本末転倒であった。
それならバレエかダンスでもやってろ・・・
結局全国大会へは行かないことにしたっけ。
武術とは戦う技術であり、必要なのは功夫である。
功夫とは鍛錬の蓄積なわけなのだが・・・コレが何かと言われれば説明に困窮するのが事実だ。・・・いや、そもそも自分自身が解っていないかも。
昨今みかける、K-1やプライドの選手達・・・それにプロレスなんかもそうであるが、筋肉ムキムキのマッチョマンでいかにも強そうである。
しかし、日本や中国の達人のイメージ・・・
なんか見た目弱そうな、爺さんだったりしないだろうか?
爺さんが本当に強いのか?と思いきや、合気道の盛平翁や、塩田さんなどは動画が残っているが、もの凄く強い。
ここが西洋と東洋の考え方の違いだと思う。
西洋のスポーツなどの考え方は、大切なのは筋肉のパワー
確かに真理だとは思うが、これは年とともに減衰していくものだ。
東洋の武術はそれをそこまで重視していない。
話が変わるがペン廻しといういかにも暇な遊びがある。
授業中に意味もなくクルクルとペンを廻してたヤツはどこにでもいるのではないか?
このペン廻し、やってみると意外と難しかったりする。
廻らないうちはぎこちないものだ、何度もペンを落とし、構えもかっこ悪い。
だが、慣れてくると自然に構えることができ、綺麗に廻る。
余分な力が入らず、ペンを廻すことにだけ必要な最小限の動きになる。
功夫というのは、これに似ている。
日本の武術にも、中国の武術にも・・・特に中国がそうだが、「型」というものがあり、それをとことん練習する。
これは、敵を倒すために必要な動きを養う為に重要なわけだ。
要らぬ力を除外し、必要な動きにまとめる。
力みがなくスムーズな動きができるようになる。
で、達人になれば技は必要なくただ打つだけでいい・・・と言われる。
「半歩崩拳あまねく天下を打つ」等と謳われた達人とかは、獄中で3年間同じ型を練習し続けたという。
余分な力みを生み出す筋肉は必要ない。
だからこそ、爺さんになっても達人であり続けることができるのだろう。
これが功夫ではなかろうか?と思ってみたりする。
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