前回書いた
あの人たちは、物事の末端を見つめて合理的なものを追求する傾向があるようだ。
それに比べて東洋は、物事の根本を大事にする傾向があるような気がする。
武術で考えてみる。
西洋のスポーツ競技で重んじられるのは筋肉と体重になる。
必要以上の力を出すために徹底的に筋肉を鍛える。
しかし、東洋では体重よりは、体をもっとラクに使って人間にある本来の力を引き出そうとしている。
太極拳でも力を抜いて体を緩めることを口酸っぱく言われるのだ。
ドーピングってのは筋肉にばかり目が行っている、いかにも西洋の考え方だ。
日本人には理解しがたいのは根本的な考え方が上記のように違うからだと思う。
差は歳を取ってから著明に現れる。
筋肉は歳とともに落ちていくものだ、しかし憶えたからだの使い方は忘れない。
したがって、昔のジャッキーチェンの映画に出てくるような年老いた達人というのが実際にいるわけだ。
武器にしてもそうだ
東洋は武器を使うのもしょせん人間と考えて、徹底的に人間のほうを鍛える
西洋は合理的に武器を強くした。結果拳銃とか楽なものが現れて、大半の武術は意味をなくした。
強かったのは西洋式の武器・・・ということになる
しかし、武徳の無い者が武器を持つとどうなるか・・・特にあの国では日常茶飯的にニュースになっている・・・いや、こないだ九州でもあった。恐ろしいハナシである。
上に書いたような考え方の違いは医学にも現れている。
東洋の医学は、人の全体的なバランスを整えようとする傾向が強い。
鍼にしてもそうであるし、漢方薬もどちらかといえば、自然のものをそのまま取り入れて、全体を整えようとする。
しかし、西洋医学は合理的に悪くなった部分を徹底的に治すことに重きをおいた。
たとえば、同じ解熱作用のある薬草・・・
東洋は、薬草をそのままの形で取り入れようとする。
西洋は、解熱作用のある成分を抽出して薬にする。
したがって、結果的に副作用が多いのは漢方薬・・・ということになるわけだ。
副作用・・・というと悪いことばかりに考えてしまうが、医学的には当たり前のものだ。
たとえば、コーヒーをクスリとして考えた場合
夜中まで起きていようとコーヒーを飲む場合は覚醒が主作用で利尿が副作用になる。
だが、利尿剤としてコーヒーを飲む場合は主作用が利尿で副作用が覚醒だ。
解熱、鎮痛剤だとどうなるか?・・・
主作用という言葉自体、素人は使わない。ワープロの変換も出来なかったりする。
副作用=悪いこと、と漠然と考えるといけないことだと考える
副作用が多い・・ということは、逆に色々なものに効果がある・・と思ってもいい。
東洋式、西洋式、どちらもやり方であって良い悪いでは無い。
剛よく柔を断つ 柔よく剛を制す。二つの言葉があるように・・・
この国は両方のいい部分を取り入れやすい国であると思う。
そんな国に生まれたのだから、もっと偏見は捨てなきゃいけないかな。
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