「わかる」という言葉をよく使う だが喋る分には良いのだが、書く時に困る
ブログなんてやってたら特にだろう
分かる、解る、判ると変換する時も3つ出てきてくれるので迷うのだ
文章にする時には少し考えてから変換するのだが、それでもあとでよみかえすと、変だったかな~と思ったりする
分かる・・・
ようするに、分けて考えることが出来るのでできた言葉だ
分けられる→分かる・・・と解釈している
落語のまくらで、枝雀師匠も仰っていた
まあ、医療なんてやっていればなるほどな~と思う
歯痛にしても原因が「分かる」となる
知覚過敏で痛いのか、虫歯で痛いのか、神経の炎症か、または歯周疾患か
分けて考えることができる場合
その時に「分かる」を用いるようにしている
枝雀師匠が枕で言ってたこと
「昔はもっと簡単だったんですよ」
「先生、具合が悪いんです」
「ああ、あなた病気です」
「と、それだけだったんですからね」
と、うそコケって話だが笑えたものだった
そして解る
これは単純に「理解できる」と云う時に使うようにしている
文章を書いていて「わかる」が出てきた時に
「理解できる」に置き換えておかしくない場合に使えばいいのだろうか?
もっとも、私の文章にはあまり出てきてないかもな・・・
理解力がないのだろうか
そして判る
なぜかこれを好んで使っているきがする
これは「判断できる」場合に使えばいいのだろうか
善し悪しを判断できる、イエス・ノーを判断できる時に「判る」
では「判る」と「分る」はどう使い分ければいいのだろう
「判る」は二つに分けてどちらかがわかるとき・・・
「分かる」はもっと細かく分けられる時だろうか?
・・・ううむ・・・わからない
PR