「わしは知っとるんじゃ」
この台詞を見た時に思い浮かべるキャラクターはどんな人物像か?
たいていの人は白髪の老人を思い浮かべるだろう、いや禿かも知れないが
これが「わたくしは存じておりますわ」
となると、人物像は貴婦人となる
「オラぁ知っとるだよ」となれば田舎モンか・・・
「拙者、存じておりまする」なら昔の武士?
このように実際には言わなくても、職業、年齢、性別、階層、時代などを表すような特定の言葉遣いの事を「役割語」というらしい
最近NHKのTVで知った
提唱されたのがワリと最近らしく、知らなくても仕方なかったかもしれないが
日本は、漫画やアニメなどの先進国であるし、これは大事なことかもしれない
しかしながら、そのTVで
実際には「わしは博士じゃ」という博士はいないでしょう
と言っていたことに違和感を覚える
思いっきり言いそうな人を知っているからだ
知人のオランダの博士である
この人は別に年寄りなわけではない
ただ単に私と同郷というだけである
そう、富山県では一人称に平気で「ワシ」を用いるし
語尾に「~じゃ」というのも普通である
私も小学生の頃からそんな言葉遣いだった
小学生が「ワシは~じゃ」と言っていても別に不自然ではない
それなのになぜ「役割語」としては年寄り風になるのか?
一人称に関しては知らないが、西日本では語尾の「~じゃ」と言うのは結構あるようだ
そしてこの役割語というのは遡れば江戸時代になるとか
無論その頃は役割語という言葉自体なかっただろうが
江戸の街が大きくなって、江戸に「共通語」が出来つつあった
若い者は共通語を話し始めるが、年よりは「上方言葉」を話す
故に、年寄りの話し方を表すのに「ワシは~じゃ」というものが歌舞伎の世界などで用いられるようになったと言う
しかし、江戸の「共通語」と言うのは江戸弁の事か?
落語が好きな私だが、上方落語と江戸落語では どうにも上方の方が聞きやすい
江戸弁はどうにも言葉が汚いと言うか・・・きついのだ
機関銃で撃たれてるような気分になる
前の金原亭馬生あたりは柔らかいので聞き良かったが
これは、初めて生でみた落語が米朝と枝雀の二人会だったことが原因かと思っていた
上方の柔らかいのが刷り込まれたのかな~と・・・
が、この役割語の成り立ちとかを考えるに 生まれた土地のせいだったのかもな~と 改めて思ってみたりする
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