連休中に実家で畳の入れ替えをやった
親父がやってくれるのなら私の代ではしなくて済むかもしれない
ありがとうパパ上
畳屋さんは以前からウチに出入りしておられるMさん
患者さんとして来院もされている 実に職人気質な人である
今は実家のある串田村に住んでおられるが、何代か前は隣の中田町の方だったという
その人のウチで見つかった骨壺、なんと天正年間のものと言うから驚きではないか?
それを聞いた母親が、ピンと来て畳屋さんに尋ねる
中田にあった大きな家、吉田さんという家と関係がないか?と聞いたら
何故かは知らないが、Mさんは代々その家の墓を参らなきゃいけないとかで
今や、その墓を参っている唯一くらいの家になってしまっているそうだ
どうやら、その家は朝倉の家来で 浅井、朝倉が信長にやられた時にこっちに落ちのびてきた朝倉家の家来だったとか・・・
じゃあ畳屋Mさんは吉田さんの家来か、いわゆる男さだったのではないかと推測できる
家に歴史があるものだ
畳屋の歴史もいいが今回は実家の歴史も少し聞く
大広間の畳を2階の部屋に移して、2階を奇麗にしたのだが
2階の部屋のふすまが何十年ぶりに公開された
こんな凄いのが家にあったのか、知らなかった
紅梅とオナガが描かれた襖
これは生き証人が一人いた、バアちゃんだ まあ、親父も幼かった頃らしいが
60年位前に私の曾爺ちゃんが小杉の町から絵描きを呼んで描かせたものだとか
エピソードとしては、曾爺ちゃんは梅を白梅にしたかったらしい
別に曾爺ちゃんは絵を解ってる人ではないのだが
で、絵描きさん、襖と同じ大きさの紙をわざわざ買ってきて下書きらしきことをして、曾爺ちゃんを納得させたとかいう
あの時代そんな大きな紙をこの田舎の家から買いに行くだけでひと苦労だったろう
で、毎日小杉からバスで来て絵を描く時は紋付き袴の正装だったという
バアちゃんは毎日ご飯を運んでいたらしいが、絵描きさんは襖を眺めながら、絵具をすり鉢でご~りご~りとやりながらじ~っと襖をにらんでいる事が多かったという
芸術家が真剣勝負で襖を見ながら構想を練っていたのかと思われるが、金払って飯まで食わせてるバアちゃんとしては
「そんなことしてる間に早く書け」と思ったらしい
その後、この部屋は親父の弟・・・要するに叔父の勉強部屋になった
そしたら叔父が「傷つけそうで恐い」と言ったので、この襖は絵の部分を内側に両方から閉じられて・・・
その後一度はなおされて、その後また絵を守るために閉じられて
以来40年くらい 日の目を見なかったという事だ
忘れないように書き留めておく
最もこんなブログ、どんな事でいきなり見ることができなくなるか知らないけどな
PR