先日からオケのことばかりになるが、こんなことを書くならいいチャンスであろう。
私は、学生時代 岩手医科大学管弦楽団で、トレーナーを務めた。
トレーナーとは、この場合 普段練習をつける学生の指揮者だ。
本番は、かな~り上のOBである岡さんという方が指揮者として、指揮台に上がる。
ただのOBでプロではないが、なぜかカリスマ性のある人だ。
色々言われてもいるし、たまには本番で振り間違える・・・・しかし、前回書いたような事態を乗り越えれるのも、この人が振ってくれるお陰だろう。
実際、今回は演奏者も言い分があるのかもしれないが、指揮者としては少々理不尽に思えるようなこともあったようだ。
そのことを聞いて、こっそり岡さんに
「色々タイヘンだったようですね」
と声をかけた。 すると岡さんは
「タイヘンだったよ、でもまあ今しばらくはこんな感じなんでしょうね。」
と、とても理解のある風だった。
あのオケの歴史と現状を知る彼であるからこそ、振ってくれるのだろう。
ハナシがそれたが、私も本番のステージで指揮台にあがった。
6年生のときに序曲のフィンランディアを振ったのだ。
2年前から振らないか・・・とも言われていたが思うところがあったりで、最期の年だけ振ったのだ(今考えると何度か振って場数を踏んでも良かったかも)
執行部の会議で「振って欲しいんです」と言われた。
即答はせずに執行部の面々に聞き返した。
「俺はその次の日から・・・・・・わかってると思うけど」
と聞いたが、それを承知で振って欲しいとのことだったので 引き受けた。
このとき思った。もし、その後私が失敗したら、彼らに詫びねばならない。
私を信頼して、次の日のことがあるにもかかわらず振って欲しいといってくれているのだからと。
いざ、自分好みに曲を作ろうとしたが、なかなか難しかった。
皆ただ、重く 暗く うるさい。がなりたてるように、中に優雅さがあった上での重たさではない、なぜか?
その数年前に前回の学生指揮(私の師匠)がそんな曲に仕上げたのだ。
そのクセがとれていないのである。
これではいけない。
私の練習法は、皆の中にある固定観念を打ち壊すことから始めることが多い。
壊して作り直すのだ。こうすることによって、一回り大きく、融通の利くものにしていく。太極拳の練習法の応用でもあるのだ。
で、このときも その練習法を採用した。
重苦しい冒頭の部分をワリと優雅にやる、なかなか珍しいフィンランディアだ。
さあ、固定観念はぶっ壊した。後はまた、重く治そう。そう思った頃に本番が目の前に迫っている。しょうがないのでそのまま優雅なフィンランディアにした。
この曲は重苦しいだけでなく、木管楽器のかなでる優雅な部分もある。
全体的に優雅になり、淡々としたフィンランディアになった。
後にそれを聞いた岡山大学の赤松君(7/18日の笑えるクラシック参照)に言われた
「えらい淡々としたフィンランディアやな」
うむ、このような事情でね。あと5日あれば重たくしたんだが。
本番前は緊張するかと思ったが舞台袖にいる自分は不思議なほど落ち着いている。舞台に上がる時は足音が決めてだ、かっこよくコツコツとかかとで音を立てた。指揮台に向かう時には観客席の教授までしっかりみえていたものだ。
しかし、事情で家族は呼んでいない・・・呼べなかったのである、次の日のことがあったので。
本番は良くも悪くも練習どおりにやれた。私も、オケも。
私は演奏に感極まって泣いたことはない。
いつも終わってから思うのだ。
他にやり方があったのでは・・・・
あの時こうしていても良かったか・・・・
と、いう具合に まあ性分だろう。
未だに各方面のオーケストラに顔を出すのは未練があるからに違いない。
さて、無事演奏会が終わった。
宴会は初めの部分だけ顔を出し、早めに帰った。
さあ、明日の準備である。
奇しくも私は、次の日に卒業試験を控えていたのだ。
間違っても優等生とは縁遠いワタクシである、そんなヤツが指揮をしていて卒業できなかったら言われるだろう。
あいつは卒業を棒に振ったって。
そうならないようにがんばらねば、家族も呼べなかったのはそんな事情だ。
本当なら本番の服は実家にある燕尾服を借りたかったのだがそれも出来なかった。
そして、このとき決めていたことがある。
落第したら私に指揮を依頼した執行部に土下座して謝ろうと・・・
彼らに土下座なんぞしたくない、その一心で卒業した。
卒後、演奏会翌日に試験のあった科に入局してから知った。
ボーダー60点のところ63点だったらしい。
他の科はどうだったのだろう・・・・・
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