さて、講義では前回から今迄の疑問も生じていた
そこを結構質問 疑問を解決して来た・・・
まあ、とどめに来月従業員も送り込むけどな
またカネがかかるけど・・・
もう、だいぶ過ぎてしまったが同窓会の続き・・・
ブルガリ銀座タワーでの一次会を終えて2次会へ向けて動き出す
担任だった名和先生はここでお別れ、またお会いしましょう
別れ際に、名刺を求められたが、名和先生にお渡しする分を持っていなかったという失態を犯してしまった
・・・まあ、このブログみられるのもアレだし いいか
みやけんの子供たちといろんな話 奥さんともお話 彼女は柴又の出身であるという 私は無類の寅さん好きで柴又は何度も訪問した 最強の方向音痴が初めて行ってもだいたいの土地勘が分かるのは映画のお蔭だ
特急はくたかに乗り込みメシにする
列車に乗る前に、高岡駅に新しく出来た「クルン高岡」で買っておいた
満を持して色々作ったはいいが、数か月で早くも暗雲が立ち込めているというウワサのクルン高岡
あんな一面ガラス張りな店々は高岡の気質に合わないと思ってたよ
基本アウトローだからな、高岡市民
前日はなかなか遊んだ・・・
が、ここからは真面目にセミナーを受ける
場所は前日の飲み会の場所のすぐ側だった・・・
しかしながら、時間は12時から
11時までゆっくりできるホテルは神田にあったので時間を潰す
二次会は本格的に皆でじっくり喋る
・・・席が狭いのが難点だったがしょうがない
この北オケ同窓会はやればやるほど規模が大きくなっていくんじゃないだろうか?
織衛先生とはじっくり喋れなかったが・・・
まあ、いつでも観に行けるからな、オーケストラアンサンブル金沢
あれから前回の美人のコナン君とメールやり取りして判明
彼女とは全日本の最後のステージでご一緒していた
音楽やっていると良い出会いがあるもので・・・
そこんとこは現役時代から止めらんなかったことであるが
この歳になってもまだ続くのが本当に嬉しいトコ
恐怖の大王、蜷川さんと10数年ぶりに面と向かう
あの当時と同じリアクションをとる私
当時の我々の主従関係知ってる人達から
何故か歓喜の声が上がるという・・・
北オケ同窓会 こんな感じで幕開け
こないだまで岩手医大管弦楽団と全日本医科学生オーケストラの話を書いていたが
ここからはまた別のオーケストラ
「北日本医科学生オーケストラ」の話である
医科オケの打ち上げ、一次会の最中だったが部屋を出る
終電逃すわけにはいかない 金沢で泊まるのもアリだったと思うが
なにしろ翌日は日帰りで盛岡だ